「証言とスケッチ画で蘇る“南方抑留”の苦難 敗戦後、東南アジアで抑留された日本兵」第二部中尾知代岡山大学大学院准教授と野田明廣さんの対談 2023年12月2日@同志社大学今出川キャンパス良心館

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 太平洋戦争中に東南アジアに侵攻した日本兵は戦後連合軍に降伏して抑留され、英国軍は10万人を超える日本兵を残留させました。満足な食料も与えられずに元日本兵たちは、戦闘地の復興や食糧生産、道路の整備、空港の建設などの重労働に就かされました。アメリカ軍、オランダ軍も含めて合計14~15万人が残された兵の数とされているそうです。オーストラリア軍下でも10万人を超えていたことは間違いないと講師の#中尾知代 先生。彼等はジュネーブ条約の保護下にあった“捕虜(#POW)“ではなく、“#降伏日本兵(#JSP)”と呼ばれました。昭和20年8月18日天皇の奉勅命令第3項「敵軍の勢力下二入リタル帝国陸軍軍人軍属ヲ捕虜ト認メズ」により日本側が自ら“捕虜”という身分を放棄しています。そのため連合国側は堂々と日本兵を使ってもいいという事になったのです(海軍の書類は今のところ見つかっていませんが、両軍ともJSPと認めたことは間違いないと中尾先生)。
    英国軍下のマレーに抑留された#野田明 さんは、上官から絵がうまいと認められ、命令でJSPの様子を約500枚もスケッチしました。その目的は「復員局に抑留中の様子を描いた絵を送ることで内還を早めることにあった」と野田さんの証言がありました。大隊長にそういう伝手があったことも驚きですが、絵が実際に復員局に送られ、その効果があったのかなどは現在分かっていません。国内のどこかに約350枚の絵が残っているのか、今後の調査が待たれます。手元に残った約150枚を「何としても残さねば」と野田さんは必死に持ち帰りました。復員前に#森山幸晴 副官の提案で「#エンダウ海軍作業隊」として手作りした文集『#噴焔』は500部作成し、その一部が野田さん宅にありました。シンポジウムがきっかけになって、今、この貴重な文集の活字化が進められようとしています。スケッチ画と共に文集の内容は、マレーに抑留されていた元日本兵たちの実相を知る貴重な資料として活かされることでしょう。詳しくはブログでも書きました。お時間がございます時に、お読みいただければ嬉しいです。toyfilm-museum... #おもちゃ映画ミュージアム

Комментарии • 2

  • @user-cf5mb4fz9o
    @user-cf5mb4fz9o 6 месяцев назад

    日本兵の、ことがわかって、苦労がわかりました

    • @user-lk6fr6ry9d
      @user-lk6fr6ry9d  6 месяцев назад

      コメントを頂戴し嬉しいです。南方抑留については余り知られていませんので、これを機会に広く関心を持って下さると良いなぁと思います。